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意識研 開催報告 ── 2023年度(令和5年度) テーマ1
マインドアップローディング
話題提供者:渡辺正峰(東京大学)|連続研究会・全3回
マインドアップローディング 1
2023.4.11
アジェンダ
①マインドアップローディングに関係する基本概念の整理
・マインドアップローディングとは何か
心を脳からコンピュータに移送すること
・心と意識はどう区別されるか
心、意識、無意識の関係は?
主観的な経験としての意識
T・ネーゲル「コウモリであるとはどのようなことか(What is it like to be a bat?)」
・意識は脳とどう関係するか
脳の活動からいかにして意識が生じるのか
意識のハードプロブレム、クオリアの謎
哲学的ゾンビは可能か
意識の存在は本人にのみ確認可能か
・機械は意識をもちうるか
生物でなければ、意識をもちえないのか
バイオとデジタルの違いは意識の有無にとって決定的か
機械が意識をもつかどうかは機械「本人」にのみ確認可能か
②いかにしてマインドアップローディングを行うか
・フェーディングクオリアの方法とは何か
・機械脳半球の方法とは何か
分離脳では意識はどうなるか
生体脳半球と機械脳半球を結合すると、意識はどうなるか
機械に意識が生じたと思われる理由は何か
所感(信原幸弘)
意識について究極の問題を問う「意識研究会」がスタートした。初回は、意識を脳からコンピュータに移す「マインドアップローディング」について、その可能性を問うた。意識は生物的な素材からなるアナログ的な脳に宿っているが、それをシリコンからなるデジタル的な機械に移すことは可能だろうか。そもそもデジタル機械に意識が宿るのだろうか。
この疑問を多少なりとも鎮めてくれるのがチャーマーズの「フェーディングクオリアの思考実験」だ。生体脳の神経細胞を1つずつそれと同じ機能をもつシリコンチップに置き換えていけば、意識は次第に消え去るのではなく、もとのまま維持されるであろう。つまり「哲学的ゾンビ」にはならないだろう。そうだとすれば、意識を生体脳から機械に移すことは原理的には可能だ。
しかし、脳の神経細胞は膨大な数にのぼるから、それを1つずつシリコンチップに置き換えるのは実際上不可能だろう。そこで、渡辺正峰氏は生体脳半球を機械脳半球に接続して、生体脳半球の意識内容を機械脳半球に移すというもっと現実的な方法を考案した。
この機械脳半球の方法で、意識ははたして機械に移るであろうか。この点をめぐって活発な議論がなされた。生体脳半球から機械脳半球に意識の内容が移るのではなく、逆に機械脳半球から生体脳半球に移ることはないのか。このような疑問が出たが、何らかの対処法がありそうだということで落着した。
マインドアップローディングはけっして不可能ではなさそうだ。しかし、アップロードした私は本当にもとの私と同じなのだろうか。別の私になってしまう恐れはないのか。このような疑念が当然起こってくるが、これは次回探究する。
マインドアップローディング 2 ── 自己の同一性
2023.5.12
アジェンダ
(1)同一性の記述的問題と規範的問題
・記述的問題
自己の同一性を現在の私たちはどう捉えているか
さまざまなケースで同一性をどう判断するか
・規範的問題
- 自己の同一性をどう捉えるべきか
どう捉えるかで責任問題などの実践が変わってくる
- そもそも同一性を捨てて、連続性に移るべきか
(2)人格の同一性の問題
・物体の同一性と人格の同一性の違い
心の有無による同一性の違い
・人格の同一性
- 身体説:身体の時空連続性
- 記憶説:記憶の連続性
- 数的同一性と質的同一性
人格の同一性で問題にされるのは数的同一性
・人格の同一性と物語自己の同一性の違い
物語自己の同一性 ⇔ 自己物語の同一性
・同一性と連続性の違いと関係
- 同一性とその基準
何らかの連続性がしばしば同一性の基準にされる
- 等価分裂における連続性と非同一性
同一性の推移律
(3)マインドアップローディング(MU)で自己の同一性は確保されるか
・フェーディングクオリアの思考実験での自己の同一性
自己の同一性が最も確実に確保されそうだ
・機械脳半球によるMUでの自己の同一性
意識の統合/同一性、自己の同一性
・心の同一性
- 心の物的基盤がMUで時空連続性を有するケース
- 心の物的基盤がMUで等価分裂するケース
- 心の物的基盤がMUでコピーされるケース
- 心の物的基盤がMUで時空連続性を欠くケース
・身体の同一性
- 身体をアップロードするMUのケース
- 身体を変えてアップロードするMUのケース
- 身体をアップロードしないMUのケース
無身体の場合
身体を別途仕立てる場合
所感(信原幸弘)
今日の私は昨日の私と同じ人間だが、マインドアップロード後の私はその前の私と本当に同じ人間なのだろうか。別の人間になってしまわないのだろうか。マインドアップロードの前後を通じて、自己の同一性が保たれるのかどうかが今回のテーマだ。
フェーディングクオリアの思考実験では、私の脳の神経細胞を1つずつ機械細胞に置き換えていくが、その間、私には何の変化も感じられないだろうから、私の意識は保持され、自己の同一性も保たれるだろう。では、機械脳半球の方法でマインドアップローディングを行った場合は、どうだろうか。
私の生体脳半球を機械脳半球とつないで、私の心の内容を機械脳半球にうまく移したら、機械脳半球は私の心をもつようになるだろう。従って、自己の同一性を保つことは何とかできそうだ。だが、私の記憶をすべて首尾よく機械脳半球に移せるとは限らない。機械脳半球は私の記憶の一部しかもたないかもしれない。そうだとすれば、機械脳半球が同一の私だとしても、それは「劣化版」の私となろう。アップロードして自己の同一性が保たれたとしても、私は「劣化」した自己になるのである。
それでも、マインドアップロードしたいと思う人もいるだろう。同じ私であり続けるなら、劣化版でもかまわない。いや、それどころか、「自己の同一性なんていらない、連続性さえあればよい」と思う人さえいるかもしれない。アップロード前の自己と同一でなくても、何らかの連続的なつながりがあれば、それでいいというわけだ。マインドアップローディングには、少なくとも一部の人にとって、抗し難い魅力があるようだ。
では、アップロード後の生活はどうなるのだろうか。それはウェルビーイングでありうるのか。デジタル自己は生体自己とその物的基盤が根本的に違うから、生き様もやはり根本的に違うだろう。デジタル自己はどんな生を送るのか。これは次回のテーマだ。
マインドアップローディング 3 ── アップロード者のウェルビーイング
2023.6.13
アジェンダ
①不死の可能性
・ 不死は望ましいか
・ 死を望む場合、どんな死後が望ましいか
自分の意識を人類の共有意識に融合させるのはどうか
②日常生活
・コピーして多くの「分人」を持って生きるか
・仮想環境で生きるか、それとも元の現実環境で生きるか
③身体・性別
・時々の好みの身体・性別にするか
・生殖はどうするか
④共同体(社会)
・人間関係(愛情、友情など)を重んじるか、それとも単独者として生活を享受するか
・道徳的な共同体を作るか
・各人の意識を統合した超意識体の一部として生きるか
⑤マインドフルネス
・デジタル存在にも有益か
所感(信原幸弘)
人はなぜマインドアップロードしたいと思うのだろうか。もちろん、アップロードなんかしたくないと思う人もいるだろうが、したいと思う人はなぜしたいのか。
一つの大きな理由は不死であろう。アップロードしなければ、いつか必ず死が訪れる。死は恐ろしいから、アップロードして永遠の生を手に入れるのだ。あるいは、永遠の生を望まないとしても、今は死にたくないから、とにかくアップロードして死を避け、そして死にたくなったときに死ぬ。大往生して安らかに死にたいと思う人も、大往生できずに死にそうになれば、アップロードして大往生を遂げようと思うのではないだろうか。
不死にせよ、避死にせよ、ともかく何らかの理由でアップロードしたとしよう。アップロード者はデジタル世界でウェルビーイングな人生を送ることができるだろうか。デジタル世界では、自分の心、身体、環境を現実世界と同じにすることも、別様にすることもできる。すべては設定次第だ。つまり、したいことをし、なりたいものになれるのだ。そうだとすれば、誰でも当然、ウェルビーイングになれるだろう。とにかくウェルビーイングになるように、したいことをし、なりたいようになればよいのだから。
しかし、何でもでき、何にでもなれるとき、人は何をしたいと思い、何になりたいと思うのだろうか。何の制約もないところで、何かをし、何かになることにいったい何の意味があるのだろうか。何らかの意味が存在するためには、何らかの制約、つまり自分にはどうすることもできない何らかの「所与」がなければならないのではないか。いかんともしがたいことがあってこそ、そこで実現されることに意味が出てくる。全知全能の神はそのような意味とは無縁だし、そもそもウェルビーイングとも無縁であろう。
デジタル世界でウェルビーイングになるためには、そこでの「所与」を見いだす必要がある。その所与のもとでウェルビーイングを見いだすことができれば、所与はつらい「縛り」ではなく、ウェルビーイングを可能にする「恵み」となる。
デジタル世界は現実世界よりもはるかに自由だが、それでも物質でできたコンピュータに支えられた世界である以上、何らかの制約があるはずだ。アップロード者はデジタル世界の物的基盤に由来する制約を見据えて、その所与のもとでいかなるウェルビーイングが可能なのかを探索しなければならない。途方もなく自由なデジタル世界は、そうであるがゆえにかえってウェルビーイングを見いだすのが困難だという皮肉な事態が、ここにはありそうだ。